健康と家計のためにコーヒーの自家焙煎に挑戦することにしました。
いろいろ考えた結果たどり着いたのが、IHクッキングヒーターと親子鍋を利用した焙煎方法です。
ショパンは20歳頃、ワルシャワ音楽院で3年学び、ウィーンに旅立ちます。
その門出の曲と言われている「ピアノ協奏曲第一番」(1830年)を紹介します!
勉強や仕事中に聞くと、なかなか作業がはかどりますヨ!
2020年ショパン国際ピアノ・コンクール優勝者による「ピアノ協奏曲第一番」の演奏↓
「ウィーン気質」(直訳:ウィーンの血)は、2002年にニューイヤーコンサートで小澤征爾さんが指揮をされたウィンナーワルツです♪今でもウィーンの人々はウィーン市民であることを誇りに思っている人が多いと聞いたことがありますが、本当でしょうか?!
軽快なリズムと気品のある旋律が婚礼行事にぴったり♪
ロシア国民楽派で、元海軍将校であったリムスキー=コルコサフが脂が乗った44歳の時(1888年)に作曲したのが、4楽章の交響組曲「シェエラザード」。
楽曲の題名「シェエラザード」はアラビアンナイト(千夜一夜物語)の語り手として登場する若い女性です。
アラビアンナイトは、過去に女性に捨てられたという経験のトラウマから処女の虐殺を繰り返している王に対して、千一日に渡って面白い話を聞かせ続け、虐殺を免れたうえ、千一日目には子供が生まれ、王と結ばれるという説話集です。
異国情緒と冒険に満ちた世界アラビアンナイトの世界↓
シューベルトの歌曲「孤独な男」を紹介します!「孤独な男」という題名ですが、歌詞・音楽ともに、とても明るく爽やかな雰囲気があります。シ
フランツ・シューベルトと共に、ドイツ歌曲を語るうえで、欠かせない存在であるリヒャルト・シュトラウス。
「あおい(葵)」は彼の最晩年の歌曲として知られています。
この22分に及ぶ大作は、元となっている詩が存在する他の4作の交響詩とは異なり、自らの発想で生み出されました。そのため、小規模なオーケストラ編成となっています。
初演は、1898年にマーラーの指揮でウィーンで行われました。
今日は、ドビュッシー晩年の歌曲を紹介します。
戦争が子供たちの生活に影を落とす時代が赤裸々と語られています。
今日は、「韃靼人の踊り」という愉快な曲を聴きました!
作曲したのはサンクトペテルブルク出身のアレクサンドロ・ボロディン(1833-1887)です。
ロシア・サンクトペテルブルクのマリンスキー劇場から依頼され、1862年に同劇場で初演されました。
チェコ国民楽派スメタナのオペラ「売られた花嫁」(1870)は、ブラームスのハンガリー舞曲集(1869)とほぼ同時期に作曲されたオペラ作品で、スメタナの最も有名な交響曲「わが祖国」の約10年前の作品です。
作曲家・ピアノ奏者としてのみならず、民族音楽研究家として精力的に活動したハンガリー(現ルーマニア)出身のバルトークとその楽曲「ルーマニア民族舞曲」を紹介します。
身分差&歳の差&宗教の差の三重違いの結婚を乗り越え、共に人生を歩んだ妻、アリスに捧げた一曲。
女性に人気の曲だそうで、ピアノ独奏版、ピアノとヴァイオリン用、小編成の管弦楽の楽譜などを残したそうです。
「スラブ舞曲集」(1878)は、チェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークが、同じくチェコの作曲家ブラームスの交響曲「ハンガリー舞曲」の成功を受け、出版社から依頼されて作曲した曲です。
マラッツ(1872~1912)は、スペインのピアニスト、作曲家でした。
有名な曲は多くありませんが、「スペイン風セレナード」は、ギター愛好家の間では名曲としてランクインしています。
アラブ情緒溢れる曲です!作曲者のタレガは、ギター独奏の基礎を築き上げた作曲者およびヴィルトゥオーゾ(超絶技巧を伴う曲の奏者)です。
伴奏楽器のとして扱われていたギターが、今日ではれっきとした独奏楽器となったのも、タレガの貢献によるものが大きいのだそうです。
米国で倍率5%を下回る※音楽学校がフィラデルフィアにあると聞き、調べてみたら本当にありました!その名もカーティス音楽院。ある調査では米国一の競争率を誇るらしいです。
「ゴリウォーグのケークウォーク」は、ドビュッシーが唯一授かった子(娘)であるエマに捧げられました。
「子供の領分」(全六曲)の第六曲目で、大人が子供の世界に浸れるような曲として作曲したそうです。
今日はモンティ(1868~1922)という作曲家のヴァイオリン楽曲「チャルダーシュ」と共に、ハンガリーとチェコのモラヴィアの伝統音楽を紹介します♪