カルメン組曲第一番「セギディーリャ」

「カルメン」「真珠採り」※などビゼーのオペラは題材が異国情緒あふれていてどこか惹かれるところがあります!これらは今でこそ主要なレパートリーですが、作者であるビゼーは残念ながら全く注目されていませんでした。

メトロポリタンオペラの無料ストリーミングサービスで、たまたま、フランス週間なるものをやっていたので、刺激され、フランス・オペラ曲を聞き漁りました!

一人目が、ジョルジュ・ビゼーです。

彼のカルメン組曲「セギディーリャ」(第一番)がお気に入りでした!
オペラの中でもカルメンが歌う部分で、可憐な雰囲気の小品です。

「闘牛士」(第一番)「闘牛士の歌」(第二番)は誰しもが聞いたことがあると思いますが、敢えてこちらを選んでみました↓

カルメン組曲「セギディーリャ」(第一番)

ビゼー(1838~75年)は、パリ音楽院(1848年~)で活躍し、ローマ大賞(1857年)を受賞。早咲きのピアニストでした。

ローマ大賞はルイ14世(1638年9月5日~1715年)によって創設された奨学金制度で、受賞者は3~5年間の留学の費用を国が負担します。何にも増して、国内外で名声を得ることが出来ます。

ビゼーは、奨学生として1858年よりローマに3年、その後パリで2年を過ごします。

ローマから地元パリに帰った際に、パリの劇場が、グランド・オペラと呼ばれる伝統的かつ大規模なオペラばかり上演していることに気が付きます。

もちろん、若き作曲家のための奨学金制度であるローマ大賞受賞者の作品を取り扱うことは稀だったようです。そのため、ビゼーの作品の多くは忘れ去られてしまいました。

ビゼーは幼少期から母からピアノの手ほどきを受けてきたため、ピアノ演奏の実力は非常に高く、ピアニストとして活動していれば、生活はより安定したはずなのですが、本人はピアノ演奏ではなく、ミサ曲やカンタータなどの作曲に邁進したそうです。

※「真珠採り」は、ビゼーの作曲家としてのデビュー作品(当時25歳)としての扱いで、生存中に発表されたが、聴衆の反応はどっちつかずであり、すぐ打ち切りになってしまった。しかし、べルリオーズなど一部の音楽家の間では好評だっだということです。