【読書記録】ビジュアル スペシャリティコーヒー大辞典

ナショナル ジオグラフィック協会の『ビジュアル スペシャリティコーヒー大辞典』(編集:日経ナショナルジオグラフィック社)を気ままにブックレポします!

コーヒータイムには、生産者や生産地に思いを馳ぜたいと思います!!

コーヒーのいろいろ

★コーヒーの精製方法★
<自然乾燥式(ナチュラル)>
1収穫 → 2選別 → 3乾燥 → 4脱穀(1回目) → 5貯蔵 → 6脱穀(2回目) → 7格付け
・1収穫は、ブラジルなど広大で平坦な土地がある少数の国では機械で木を揺らして実を落とす機械収穫が行われているが、ほとんどが手摘みである。完熟した実のみを収穫する作業は非常に大変であるため、ニカラグアなど最貧国の移動労働者に頼ることも多い。
・2選別は、人件費が安く、設備投資が難しい国々では、手作業で行われる。経済的に発展した国では、コーヒー豆を水槽に入れ、浮かんだ未熟な豆と沈んだ完熟豆とで分けられる。
・3乾燥は、天日干しもしくは高床式乾燥棚を使う方法がある。天日干しの場合は、熊手でかき混ぜながら均一に乾燥させることで、発酵、腐敗、カビ発生などを防ぐ。水を得られない場所での唯一の生産方法であり、エチオピアやブラジルの一部の地域で採用されているが、非常に手間がかかる。この方式で精製されたコーヒーは安く加工され、国内市場向けか価値のほとんどないものとされる。
・4乾燥させた生豆の外皮と果肉を機械で脱穀する。
・5貯蔵は、30~60日の貯蔵が一般的。この工程を経ることで、出荷後のエイジングを抑えられるとされている。
・6脱穀は、パーチメントの脱穀が行われている。パーチメントは豆の保護層としての役割があるが、この時点で脱穀することで、重量を減らし、輸送コストを抑えられる。
・7格付けは、単調で手間のかかる作業だが、高品質のコーヒーを売るうえで欠かせない。ほとんど女性の手で行われる。この時に、欠点豆は取り除く必要がある。欠点豆には虫食い、精製過程で発生した発酵臭、フェノール臭(原因不明)がある。

<水洗式(ウォッシュト)>
1収穫 → 2選別 → 3パルピング→ 4発酵 → 5洗浄 → 6乾燥 → 7貯蔵 → 8脱穀 → 9格付け

・2選別では、コーヒー豆を水槽に入れ、浮かんだ未熟な豆は取り除き、沈んだ完熟豆のみを取り出す。
・3パルピングでは、パルパーという機械で、外皮と大部分の果肉を取り除く。
・4発酵では、水を張った清潔な発酵槽に豆を入れ、発酵させ、残った果肉を乗り除く。

<パルプド・ナチュラル>
1収穫 → 2選別 → 3パルピング→ 4乾燥 → 5貯蔵 → 6脱穀 → 7格付け
・主にブラジルで採用されている、自然乾燥式(ナチュラル)と洗浄水洗式(ウォッシュト)の折衷式である。
・パルピング(機械で外皮と大部分の果肉を取り除く工程)を行うため、自然乾燥式(ナチュラル)と比較して、欠点豆になるリスクは少ない。
・発酵および乾燥の過程が無いため、水洗式(ウォッシュト)と比較して、水の使用量が少なくて済む。

<ハニー(ミエル)プロセス>
・コスタリカやエルサルバドルなど中南米諸国で採用されている。
・パルプド・ナチュラルと似ているが、パルプド・ナチュラルより使用する水の量が少ない。
・パルパーで、外皮と果肉を取り除く際、ある程度、果肉を残すように調整される。
・果肉の内側にある内果皮(パーチメント)を覆うぬめりのある部分「ミューシレージ」をスペイン語でミエル(miel=蜂蜜)と呼ぶ。
・豆に残される果肉が多いため、発酵豆や欠点豆が生じる可能性がやや高い。

<スマトラ式>
・インドネシアで採用されている。
・乾燥させる際に、他の方式では水分量が11~12%にするのに対して、スマトラ式は30~35%で終わらせる。
・通常はパーチメントは出荷の直前まで残しておくが、スマトラ式では、乾燥の工程の後に、パーチメントを取り除き、再度、腐敗のリスクがないよう程度まで乾燥させる。この時、コーヒー豆は深い濃緑色となる。

♪コーヒーの香り成分♪
・生豆には単糖類が含まれ、熱を加えると、タンパク質と反応してメイラード反応を起こす糖と、カラメル化反応を起こす糖に分かれ、それぞれが大量の香りを生み出す。1ハゼ終わったころには、糖はほとんど残っていない。
・焙煎中に起こる反応として、メイラード反応・カラメル化反応に加え、アミノ酸に関する反応であるストレッカー分解があり、これら3種の化学反応が、800種類を超える揮発性の香り成分を生み出す。

❤コーヒーの酸味❤
・コーヒー豆にはさまざまな種類の酸が含まれるが、焙煎で注目されるべきなのが、クロロゲン酸(CGA)とされるている。
・コーヒーにすっきりとした後味を与えるキナ酸は焙煎工程に影響しない。

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【読書記録】コーヒーの科学「おいしさ」はどこで生まれるのか

アジアのコーヒー

【インド】
・人口:12億1,019万3,000人
・生産量:年間530万3000袋(1袋あたり60kg)
・25の生産業者のうち98%が小規模農家である。

・19世紀前半に英国の後ろ盾があり、コーヒー生産に乗り出す。元々インドと隣国スリランカは紅茶(セイロン茶)文化の国だったが、コーヒー産業にも注力している。
・16世紀に、ある巡礼者が7粒(イスラム教では神聖な数字)のロブスタ種の豆をイエメンからインドに持ち込んだ結果、コーヒーの木が繁殖したという神話がある。当時、コーヒー豆の輸出は厳しく禁止されていたが、7粒の豆ということで、宗教的な行為だと考えられたとのこと。
・コーヒー生産が行われているのは、インド南部の四州(タミル・ナドゥ州、カルナータカ州、ケララ州、アーンドラ・プラデーシュ州)である。ケララ州が全生産量の3分の1を占める。
・大多数はロブスタ種、雑味の少ない、最高品種のロブスタ種を生産しているため、エスプレッソにブレンドする焙煎業者もいる。
紅茶という安価な代替飲料があるため、一人当たりのコーヒー消費量(一人当たり年間100g)は少ないが、人口が多いため、国全体の消費量は200万袋(1袋あたり60kg)に上る。
・英国植民地時代インドからヨーロッパへ木箱で輸出する際に、モンスーンの降雨にさらされた結果、独特の味のコーヒーとなったことから、モンスーン処理という処理方法が生まれ、現在にも受け継がれている。モンスーン処理を施すと、酸味は失われ、ピリッとした荒々しいフレーバーが生まれる。
・独自の格付け方法があり、精製方法(ウォッシュトorナチュラル)と豆の大きさの二種類の方法で格付けされている。多くの国では豆の大きさが品質の高さと関連付けられているが、必ずしも正しくない。

【インドネシア】
・人口:2億3,742万4,000人
・生産量:年間1,166万7,000袋(1袋あたり60kg)
・生産地域:スマトラ島(スマトラ島のある部族の名前にちなんで名づけられたマンデリンで有名)、ジャワ島(東側に多く集中。植民地の歴史から、大規模農園が多い。)、フローレス島(活動の激しさがまちまちである火山が多くあるのが◎)、バリ島(観光業が大きな収益源なっているが、最も多くの雇用を生み出しているのはコーヒー産業である。かつて、その大半が日本で売られていた。
・1699年にインドのオランダ人総督がジャカルタの総督にコーヒーの苗木を贈ったことが、ジャワ島におけるコーヒー栽培につながった。1711年からオランダ東インド会社によってコーヒーの輸出が始まり、1750年にはスラウェシ島、1888年にスマトラ島に広がる。
・当初はアラビカ種が栽培されていたが、1876年にはサビ病で全滅している。それまではアラビカ種のみの生産だったが、病気に強いロブスタ種が生産されるようになり、現在は生産の大部分がロブスタ種である。
スマトラ式(セミ・ウォッシト)と呼ばれる方式が採られている。果肉を除去した後の乾燥の工程で、通常より乾燥の程度が少ない状態で、パーチメントを取り除き、さらに乾燥させるという方式である。酸味が弱く、コクが強いと言われており、賛否両論ある。

【パプアニューギニア】
・人口:706万人
・生産量:年間100万袋(1袋あたり60kg)
・国土の端から端まで一連の山脈が連なっており、東部高原地域と西部高原地域(マウントハーゲン付近)でコーヒー栽培が行われている。コーヒー栽培に適した土壌と標高を備えているため、スペシャリティーコーヒー市場でも注目され始めている。
コーヒー栽培が行われている高原地域に暮らす人々のほとんどがコーヒー栽培に携わっているが、ほとんどが小規模農家で、自給自足農家も多い。生産履歴が不明確なため、高品質なコーヒーを栽培しても、報酬が得られないことから、多くの生産者が収穫した豆を加工する設備を持っていない。

【ベトナム】
・人口:8,970万9,000人
・生産量:年間2,750万袋(1袋あたり60kg)
・1857年、フランス人がベトナムにコーヒーを持ち込み、プランテーションで栽培したが、ベトナム戦争で中断される。
・1986年、ドイモイが採用され、莫大な数の私企業によってコーヒーの大規模栽培が行われた結果、世界第二位のコーヒー生産国になる。低品質ではあるが、大量生産しているので、世界のコーヒーの市場価格に与える影響が大きい。
・もともとロブスタ種の生産が大半であり、近年はアラビカ種の生産を増やす動きがあるが、標高の低さが障壁となっている。

アフリカのコーヒー

【エチオピア】
・人口:9,387万7,000人
・生産量:年間660万袋(1袋あたり60kg)
・生産地域:シダモ(フルーティで香り高いと言われる)、イルガチェフェ(独特の風味があると言われる)、リム、ジマ、ギンビ/レケンプティ、ハラール(非常に特徴的な味があると言われる)
・一般的にコーヒーの原産国と言われる。(実際は、コーヒーノキが初めて見つかったのは、南スーダンで、それが、エチオピアに広がって繁茂した。当初は、飲み物としてではなく、フルーツとして食べられていた。)また、初めて農作物としてコーヒーを栽培したのは、イエメンである。
初めてエチオピアからコーヒーが輸出されたのは17世紀で、当時、イエメンなどの中東諸国でカフェが登場していた。
・近年、エチオピア西部の町の名前にちなんで名づけられたGeishaという品種の価格が高騰している。(2004年にパナマのエスメラルダ農園が品評会に出して注目され、急激に注目され、2007年には一般的なコーヒーの100倍の価格がついた。)

・労働法によって、労働者の賃金の基準が高く設けられている。
・エチオピア南西部で自生したコーヒーの木から収穫されるフォレスト・コーヒー、住居周辺に植えられたコーヒーの木から収穫されるガーデン・コーヒー、プランテーション・コーヒーの3種類の生産方法がある。エチオピアで最も多いのが、ガーデン・コーヒーで、天然の木陰が少ないため、日よけの木の管理が必要である。また、肥料を使用する。
・1991年、エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)が軍事政権を打倒したことで、エチオピアの民主主義化が進み、国際市場に参入したことで、コーヒー産業関係者は激しい価格変動に対処せざる得なくなり、協同組合が設立された。資金調達や市場情報の提供、輸送手段の支援などが組合員に対して行われた。

【焙煎記録】エチオピア産・モカ・レケンプティのコーヒー生豆を浅煎り・中煎りでお試し

【イエメン】
・人口:2,523万5,000万人
・生産量:年間20万袋(1袋あたり60kg)
・生産地域:サヌア・ライマ・マウィート・サダ(アラビア語で『ブラック・コーヒー』)・ハッジャ
・エチオピアからメッカへ向かう巡礼者によってコーヒーが持ち込まれ、15~16世紀ごろにはイエメンに根付く。商用栽培の歴史は、世界のどの国よりも長い
・「モカ(mocha)」という用語は、元々コーヒーを出荷していたイエメンの港の名前に由来し、香りが強く、爽やかな渋みのあるイエメン産コーヒーの呼称となる。最近では、多くの焙煎業者が、自家製ブレンドのフレーバーを説明するための用語として流行している。
・ジャワ島産のコーヒーとブレンドされることが多く、「モカ・ジャワ」ブレンドが誕生する。
水資源が不足しているため、農耕に適した土地は国土の3%しかない。そのため、灌漑設備を整える必要がある。多くの生産者は地下水に依存しているが、枯渇が懸念される。
・「キシル」というコーヒーの代わりの飲み物を飲む習慣がある。精製工程で除去されたコーヒーチェリーの殻を、焙煎せずに乾燥させたもので茶のようにして抽出する。

【ケニア】
・人口:4,435万4000人
・生産量:年間85万袋(1袋あたり60kg)
・生産地域:ケニア山周辺の地域に集中しているが、西部(ビクトリア湖ち近く)・南西部(エルゴン山斜面)でも生産が行われている。ケニア山麓の二エリという地域の土壌は赤土で、最高品質のコーヒーを生産する。
・エチオピアの隣国ではあるが、比較的最近の1896年に最初の収穫が行われる。
・輸出されるコーヒーは、全て同じ格付けシステムが適用される。(品質は、ある程度、豆の大きさに比例するとされている。また、ピーベリーも通常の豆と分けられる。)
・英国による植民地支配のもと、大規模農園での生産が行われ、1934年には、オークション制度や格付け制度などの規定が設けられ、品質向上につながった。1950年代初頭には、農業支援策の一環で、農民に土地所有権を与え、自給自足農業と換金作物の生産を行うことで、所得向上を図った。また、コーヒーの生産が英国人からケニア人に移り、小規模農家の生産が増え、総収益も増大した。
・ケニアでのコーヒーの調査・開発は優れている。コーヒー生産の高等教育を受けている農家も多い。

 

【ブルンジ】
・人口:874万9,000人
・生産量:年間16万7000袋(1袋あたり60kg)
・ベルギーの植民地時代の1920年代にコーヒーが持ち込まれ、1933年には、すべての農民が最低50本のコーヒーの木を栽培させられた。
・着実に拡大していたコーヒー生産は1933年の内戦によって低落した。内戦後の経済的な復興策として、コーヒーが非常に重視されている。
・約65万世帯がコーヒーで生計を立てている。また、ブルンジの外貨総収入の約9割がコーヒーと茶の輸出が占めている。
・小規模農家が生産しているため、生産者の組織化が進み、国内にある160か所のウォッシングステーションのいずれかを拠点にしている。ウォッシングステーションの前で、袋に詰めたコーヒー豆を持った生産者が順番待ちの列を作る。
・ルワンダと同様、内陸国なので生豆のコンディションの維持に悩まされる。また、ポテト臭の悩みがある。

【ルワンダ】
・人口:1,053万7,000人
・生産量:年間30万7000袋(1袋あたり60kg)
・少量のロブスタ種も輸出しているが、大部分が自然乾燥(フリー・ウォッシュド)のアラビカ種(本に掲載されている写真には、腰の高さほどの乾燥棚にコーヒーを広げる生産者さんが写っている)。
・ドイツ人宣教師によりコーヒーが持ち込まれ、第一次大戦後から統治国であったベルギーによりコーヒー栽培が本格的に始まった。しかし、その頃は良質なコーヒーを生産するための施設はほとんどなかった。その後、2004年に米国国際開発庁(USAID)の支援を手始めに、多くの支援が集まり、今では300近くのウォッシュド施設がある。
・1994年に起きた国内の大規模な集団虐殺によって、コーヒー産業は大打撃を受けたが、外国からの援助と関心が高まると、政府はコーヒー産業に積極的になり、コーヒーは復興のシンボルとなった。
・「千の丘の国」として知られ、おいしいコーヒーを生産するために必要な標高の高さと気象がそろっているが、土壌劣化と輸送に関しては問題が多い。
・ブルンジとルワンダのコーヒーに見られる現象として、未知のバクテリアが果肉に入り込み、毒素を作り、焙煎され、挽かれた後に、刺激臭(生のじゃがいもをむいた時の臭い)を発生させる。

【タンザニア】
・人口:4,492万9,000人
・生産量:年間75万袋(1袋あたり60kg)
・生産地域:キリマンジャロ(キリマンジャロ山周辺)、アルーシャ(キリマンジャロ山に隣接・メルー山周辺)、ルブーマ(モザンビーク・ザンビアに隣接)、ムベヤ(コーヒー、紅茶、カカオ、香辛料を含む価値の高い輸出用作物を生産する主要な地域。近年、認証団体やNGOから注目されている。)、タリメ(ケニアに隣接)、キゴマ(タンザニアの主要都市キゴマに由来する地域、起伏のある高原に位置し、ブルンジとの国境に近い。)、ブコバ(北部ビクトリア湖に接する地域。ドイツ植民地時代(1881~1920)に入植者がアラビカ種の栽培を義務づけた地域で、現在は、タンザニアで唯一ロブスタ種が生産されている。)
・16世紀にハヤ族によって、エチオピアからタンザニアにロブスタ種が持ち込まれて以来、タンザニアにコーヒー文化が深く根付く。
・ドイツの植民地時代(1881~1920)は、コーヒーは換金食物とされて、コーヒー栽培が義務付けられた(ウガンダとの国境近く・ビクトリア湖沿いの地域)。ハヤ族の栽培方法とは異なっており、摩擦はあったが、この地域で多くのコーヒーが生産された。
・WWⅡで英国の支配下(1920~1961)に置かれた後も、英国がウガンダとの国境近くの地域でのコーヒー生産を励奨するが、ハヤ族との摩擦から、コーヒー生産は伸びなかった。一方、キリマンジャロ地域では、1925年に初の協同組合が結成され、ロンドンで高値で販売できるようになる。
・英国式の名称で格付けが行われえており、タンザニアの等級と類似している。(AA.A.B.PB.C.E.F.AF.TT.UG.TEXがある。)
・キリマンジャロ・コーヒーはタンザニアで最も古くからアラビカ種の栽培がおこなわれている地域で、インフラ面でも設備面でも優れているが、老木が増え、生産量は低下してきている。

【ザンビア】
・人口:1,458万人
・生産量:年間1万袋(1袋あたり60kg)
・ザンビアの農園の大部分は大規模で経営状態がよく、最新設備も整っているが、スペシャリティコーヒーの買い手から注目されていない。多国籍企業が経営する場合もある。
・1950年代にタンザニアとケニアからブルボン種の種子が持ち込まれたが、1970年代後半から1980年代初頭に世界銀行から資金援助があるまで、コーヒー生産は拡大しなかった。
・2005~6年にコーヒー輸出のピークを迎えるが、価格が低いことと、長期融資が足りなかったことで、ザンビア最大の農園が融資の債務不履行で倒産したことなどで、ピーク時の3分の1ほどに落ち込むが、現在は持ち直している。
・ブルボン種の他に、カティモールというブルボン種の改良種が多く栽培されている。ブルボン種より味が劣るため、政府はブルボン種を推奨しているが、まだカティモールの栽培量が多い。
・近代的設備が整っている大規模農園だけでなく、小規模農家による生産が行われているが、肥料の入手や設備の整備や水の入手、収穫後の精製も不十分であり、雑味がなく甘味のあるコーヒーを生産する困難がある。
・コーヒーの収穫の多くは手摘み収穫されている。手摘み収穫では、いかに完熟した実だけを摘むように生産者のやる気を上げるかが品質上、重要である。一方で、機械収穫(ブラジルなど広大な平坦な土地で行われている、機械で木を揺らしてコーヒーの実を落とす収穫方法)は、摘んだ実を収穫後に選別する。

中南米のコーヒー

19世紀初頭、スペインから独立を果たした中南米の国々はブラジルやコスタリカの成功を見て、続々とコーヒー生産に乗り出す。19世紀中頃は、ベネズエラ・コロンビアがコーヒー生産に成功し、続いて、グアテマラ・エルサルバドル・ニカラグアが成功する。

コーヒー生産を支える労働力となったのが、イタリア・ドイツ・日本からの移民たちであった。ドイツ移民は上質なコーヒー豆を本国向けに送ってきたのでドイツには最高級のコーヒーが集まった。

【ジャマイカ】
・人口:271万人1,000人
・生産量:1万,8000袋(1袋あたり60kg)
・コーヒー市場、マーケティングに最も成功した生産地としてブルーマウンテンで、モカに次いで高値で取引されるようになる。
・ブルーマウンテンは、原産地呼称保護制度で保護されている。また、)通常の麻袋ではなく、木のたるで輸送される。その多くが長年日本で売られていたが、産地偽装の問題もある。

【コスタリカ】
・人口:458万6000人
・生産量:139万6000袋(1袋あたり60kg)
・1821年にスペインからの独立宣言をした際に、地方自治体ではコーヒーの種を無料で配布し、生産を奨励した。1933年には、政府が「コーヒー保護協会」を設立し、大規模な精製業者が得られる利益を制限し、小希望農家を保護した。
・20世紀半ばから終盤にかけて、小規模精製所(農家が収穫後の加工処理を自分で行うための小規模設備)が増え、コスタリカで生産されるコーヒーの種類は飛躍的に増加した。そのため、地域ごとの味の違いを楽しむこともできる。
・生産者自身が土地を所有するのが一般的なため、個々の農園または共同組合まで生産履歴をたどることが可能。
・コーヒーの大規模農園で行われているエコツアーが盛んに行われている。コスタリカは中南米で最も発展し、安全であると、北米の人々に人気で、コスタリカの重要な収入源である。

【コロンビア】
・人口:4,707万3,000人
・生産量:年間1,090万袋(1袋あたり60kg)
・マーケティング(キャラクター「フアン・バルデス」や「山が育てたコーヒー」「100%コロンビアコーヒー」などのキャッチコピー)で成功した、世界有数のコーヒー産出国。
・50万人のコーヒー生産者の利益を守ることを目的としたNGOである「コロンビアコーヒー生産者生産者連合会(FNC)」の存在が非常に大きい。(輸出にかかる特別税によって運営されている。)
・地域をまたいで幅広いフレーバーが分布する。

【ホンジュラス】
・人口:825万人
・生産量:年間420万袋(1袋あたり60kg)
・栽培地の標高によって格付けする。(エルサルバドル・グアテマラも同様。)
・中米最大のコーヒー生産国。テイストはさまざまなフレーバーが見られ、評判は良いが、保存環境の悪さや降雨量の多さなどは品質向上の妨げとなっている。
・2011年以降と最近になってから生産量が飛躍的に増えたため、インフラ整備は遅れている。そのため、品質面で評価されておらず、生産されたコーヒーの多くはコモディティコーヒー市場へ行く
・コーヒー栽培に適した土地があるが、降雨量の多さが、精製したコーヒーの乾燥を妨げる

【ペルー】つるかめ家のお気に入り❤
・人口:3,047万5,000人
・生産量:420万袋(1袋あたり60kg)
・ペルーから輸出される多くのコーヒーはフェアトレード認証を受けているが、フェアトレード認証は農業協同組合によって生産されたコーヒーにだけ適用できる。現在10万ある小規模農家のうち4分の1ほどが農業組合の組合員である。
有機栽培の文化が根強いが、農園の近くに精製所がないことや、輸出のために沿岸に向かうための交通の便が整っておらず、上質なコーヒーを生産することが難しく、有機栽培をしても農家に支払われる報酬は低い

【グアテマラ】
・人口;1,543万8,000人
・生産量:年間314万3000袋(1袋あたり60kg)
・化学染料の発明によって天然インディゴの需要が減少する1856年を境に、コーヒーが重要な換金作物となった。
・グアテマラ政府は、1845年からインディゴからの脱却を試みており、コーヒー生産者向けの教材作成やコーヒーの種の配布を行なった。
・19世紀後半に、コーヒーはモノカルチャー化し、労働力として移民が導入され、1893年に日本初のラテンアメリカ移民が生まれた。
・2001年のコーヒー危機で、マカデミアナッツやアボカドに移行した農家が多い。

【米国ハワイ州】
・人口:140万4,000人
・生産量:年間4万3,181袋(1袋あたり60kg)
・生産地域:カウアイ島(1836年に初の商業用生産が始まった地域。1858年にアブラムシの一種による被害で破滅的な状態となる。)、オアフ島(ドール・フード・カンパニーが所有するワイアルアが生産を独占。)、ハワイ島(コーヒー栽培が最も長く続いている地域。コナ地区がある。)
・上記以外にも、モロカイ島のクアラプウ、マウイ島のカアナパリ、ワイカプ、クラ、キパフルなどでも栽培が行われている。
・先進国で唯一コーヒー栽培を行っている。人件費の高さゆえに、ブルーマウンテンに次ぐ国級銘柄
ハワイに下されるコーヒーの評価の大半はコナを対象としたものである。国産ということで米国人に根強いファンが多い。味はブルーマウンテン・グアテマラなどのティピカ系の味である。
・19世紀後半~1920年代にかけて、中国・日本・フィリピンからの移民がコーヒー農園とサトウキビ農園(春)で働くようになるが、ハワイ経済にとってコーヒーが重要になるのは1980年代以降であり、砂糖生産が十分な利益をもたらさなくなったことによる。
・独自の格付け方法を採用している。コーヒーチェリーの種子の数(一般的な2つのものとピーベリーと呼ばれる1つもの)と豆のサイズによる分類が行われる。

【メキシコ】
・人口:1億1,839万5000人
・生産量:年間390万3袋(1袋あたり60kg)
・生産地域:チアバス州(グアテマラの北西部に接する。シエラマドレ山脈の肥沃な火山性土壌と標高の高さが◎)、オアハカ州(南部太平洋沿い。)、ベラクルス州(メキシコ湾沿い)
・1785年頃、キューバもしくはドミニカ共和国からコーヒーの木が持ち込まれた。しかし、メキシコには豊富な鉱床があり、コーヒー産業は長年、活気が出なかったが、隣国グアテマラとの紛争をきっかけに、少数の裕福なヨーロッパ人が広大な土地を購入し、先住民たちは山岳地帯に追いやられ、コーヒー栽培に従事させられた。やがて、メキシコ革命が終わり、土地の再配分が行われ、コーヒー栽培の技術を身につけた先住民は地元に戻った。
・1980年代以降、生産者の多くが共同体を作り、コーヒー農園を購入し、運営してきた。また、メキシコのコーヒー生産者はフェアトレード認証とオーガニック認証を積極的に活用している
・米国への輸出量が多く、品質の良いコーヒーの多くは米国に輸出されている。

【キューバ】
・生産量:年間15万3000袋(1袋あたり60kg)
・国土のほとんどが低地の平野だが、コーヒー栽培に適した山岳地帯もある。
・ハイチ革命(1791)でフランス人移民が流入した後、コーヒー産業が発展し、1827年には砂糖よりも利益の上がる主要な輸出品になる。
・1950年代の革命により1961年より社会主義共和国になったキューバでは、コーヒー農園が国営化される。この時、政府からの報奨金は不十分なうえ、経験のある農家の多くが亡命したため、コーヒー生産が落ち込む。また、米国が禁輸措置をとったため、主要な潜在市場を失う。日本とヨーロッパが主な市場である。
・総生産量の1/5ほどしか輸出されていない。通常の精製方法は自然乾燥式(ナチュラル)で天日干しされるが、輸出用のコーヒー豆は水洗式(ウォッシュト)が大半である。

【ドミニカ共和国】
・生産量:年間45万3000袋(1袋あたり60kg)
・気温や降雨が安定しており、一年を通して収穫できる。(主な収穫期は11月~5月)
・コーヒーの国内消費量が高く(1人あたり年間3kg)、輸出量は国内総生産量の約20%にすぎない。国内市場で他国のコーヒーとの競合がなく、品質の低下をもたらしたとの見解もある。
・18世紀末まで、コーヒーは砂糖に次ぐ重要な作物だったであり、ハイチ革命(1791)までは、2つの作物は奴隷制度に依存していた。
・2001年以来、有機栽培が増え、認証を受けて価値を付加し、収益をもたらしている
・他の生産国同様に、20世紀末の価格の暴落で、多くの生産者が豆やアボガド生産に移行したが、価格の回復に備え、少量のコーヒー栽培を続けてきた。

【焙煎記録】ドミニカ共和国産のスペシャルティコーヒー生豆を浅煎り・中煎りでお試し

【エクアドル】
・生産量:年間67万6000袋(1袋あたり60kg)
・アラビカ種とロブスタ種の両方を栽培している。
・品質面ではあまり評価されていないため、高品質のコーヒー生産国とされているコロンビアのインスタントコーヒー企業が主要な輸出先の一つとなっている。
・1920年代にカカオ豆が病気で打撃を受けたことで、コーヒー栽培が盛んになり、1970年代までエクアドルの主要な鵜出品目だったが、現在は石油・エビ・バナナに取って代わられた。
・標高の高い地域で生産されるコーヒーについては、スペシャリティコーヒー市場でエクアドル産コーヒーへの関心が高まりつつある。

【エルサルバドル】
・人口:613万4,000人
・生産量:年間84万6000袋(1袋あたり60kg)
・生産地域:国内最大の生産地でサンタ・アナ火山のあるアパネカ=イラマテぺケ山岳地帯、降水量の多いアロテペック・メタバン山岳地帯、首都のサンサルバドルを見下ろすケサロテペケ火山の高所、チチョンテぺケ火山周辺地域など火山活動が活発な地域。
・1980年代に内戦が勃発するまで、コーヒー生産は品質と効率の良さに定評があり、輸入国とも良好な関係を築き上げていた。
・中米ほぼ全域で味わいより生産性を重視した多収性の品種に乗り換えつつあった頃、エルサルバドルでは内戦があったため、品種改良が行われず、在来種であるブルボン種の比率が高い。
水はけがよく、ミネラル分が豊富な火山性土壌はコーヒー生産に適している。
・標高によって格付けされることがあるが(1200m以上/900m以上/600m以上)、標高と品質に相関性はないと言われている。

【ブラジル】
・人口:2億103万3,000人
・生産量:年間4,754万4000袋(1袋あたり60kg)
・生産地域:ブラジル東側の州
コーヒーにとって理想的な土地だったことや輸出の利便性もあり、リオデジャネイロ周辺地域で、コーヒー生産が発展する。また、大規模農園で奴隷を使った集約農業が行われており、土壌がやせてしまうと、新しい土地に移転する、という強引な方法が取られ、1820~30年代にブラジルでコーヒー産業が大きく発展し、1840年には世界の総生産量の4割を占めるようになった。コーヒー生産を取り仕切る人々は富と権力を得て、「コーヒー男爵」と呼ばれた。
・1880年代~1890年代はサンパウロのコーヒー男爵とミナスジェライスの酪農家が政治を動かしていたため、「カフェ・コン・レイテ(コーヒーとミルク期)」と呼ばれる。この時期から、ブラジル政府はコーヒーの価格を安定させるため、供給過剰を防ぐ政策を取り始める。
・1920年代までに、世界の総生産量の8割を占めるようになり、インフラ整備に使う多額の資金を得たが、供給余剰を招き、価格が下落。その後の1930年の大恐慌での損害も大きく、価格下落の一途をたどる。
・第二次世界大戦でヨーロッパ市場が閉鎖され、コーヒー価格が下落したことをきっかけに、割当量をベースにして国際的な取り決めがなされ、1950年代半ばまで続く。(1962年に発足した国際コーヒー協定ICAの起源だと考えられており、割当率は国際コーヒー機構が定めるコーヒーの指標価格によって決定される。)しかし、1989年にブラジルが、iCAの割り当て率に応じなかったため、価格が大幅に崩れ、コーヒー危機を招く。これが、きっかけとなり、生産者たちはフェアトレード運動を始める。
・しごき収穫(すべての枝から一気にコーヒーの実をしごき落とす)と機械収穫が一般的なので、収穫された実には、未熟な実が多く混ざる。しかし、スペシャリティコーヒー生産者は手摘み栽培を行う。
・精製方法として、長らくナチュラル(自然乾燥式)が採用されていたが、1990年にパルプド・ナチュラルが導入され、品質が大きく改善された。
・国内消費量が多く、米国に匹敵する。生豆の輸入は禁止しているので、国内で消費されるものは必然的に国内産になる。低品質なものは、国内消費に回される。
・長らく、労働力を奴隷に依存していた歴史がある。1850年、アフリカでの奴隷取引が禁止され、移民労働者や国内の奴隷取引に移行し、1888年に奴隷制度が廃止される時には、コーヒー産業が危機的になると思われたが、引き続き生産量を維持した。

 

(おまけ)ヨーロッパにおいてビーダーマイヤーと呼ばれる時代(https://tklibrary.com/5447/)は戦争が終わり、平穏な時代だったため、人々は、日常の豊かさを求めて、芸術や文芸などに楽しみを見出したそうです🎵カフェは、重要な役割を果たしていたようです。芸術家・文芸家たちが、カフェでコーヒーを片手に自由に自論を展開していたのでしょう♪
ライプツィヒにあるドイツ最古のカフェ『Coffee Baum』には、バッハ、シューマン、メンデルスゾーン、森鴎外、ゲーテなどが足しげく通ったと言われている♪
メンデルスゾーンとシューマンはライプツィヒ音楽院(現・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽大学)設立に向けた話し合いを行っていたかも?!

♠ライプツィヒにあるドイツ最古のカフェ『Coffee Baum』(1711年創業)♠
https://www.leipzig.de/freizeit-kultur-und-tourismus/kunst-und-kultur/bauprojekte-des-kulturamts/coffe-baum

♠ウィーン市街最古のカフェ『Cafe Schwarzenberg』(1861年創業)♠

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♪第二次ウィーン包囲(1683)によりコーヒー豆がウィーンに伝わって以来、ベニス、ロンドン、マルセイユに倣って、徐々にコーヒー文化が浸透し、やがて人々の憩いの場になったそう。

【まとめ】最初は、興味本位で読んでいたのですが、コーヒーで生計を立てている人々が思っていた以上に多いことを知れて良かったです。フェアトレードに取り組んでいる販売者さんから買うことによって、まじめなコーヒー農家さんの力になれることを切に願っています(> <)‼

【焙煎記録】豆乃木さんのフェアトレード&オーガニックコーヒー生豆6種類を浅煎り・中煎りで比較