【読書記録】指揮者の役割~ヨーロッパ三大オーケストラ物語~

『指揮者の役割~ヨーロッパ三大オーケストラ物語~』
中野雄・著 株式会社新潮社・編

オーディオメーカー代表取締役CFOである著者が、ウィーン管弦楽団・ベルリン管弦楽団・コンセルトヘボウ管弦楽団のメンバーたちとの関わりやインタビューから見聞きしたことを記した本です。

ウィーン・リング・アンサンブル(東京のサントリーホールをはじめ日本各地で演奏活動する)のライナーキュッヒル(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の元コンサートマスター)は、良い指揮者は演奏者の音楽を邪魔しない指揮者だと話したという話が冒頭に掲載されていました。

1950年代~80年代にかけて絶大な人気を誇ったカラヤンはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団では終身指揮者・音楽監督の地位にありましたが、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団では、解雇をつきつけられた経験もあるそうです。

指揮者は観客にとっては賞賛の対象でありながら、同時に演奏者にとっては嘲罵の対象でもあることが伝わってきました・・・

ちなみにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者カラヤンが年をとるとともに、頑固になり、元々の楽譜に忠実に、という姿勢がさらに強固なものとなり、柔軟さに欠ける音楽となってしまったらしいです。カラヤンは、どうやら自己陶酔型であり、カリスマ系指揮者と揶揄されることが多いように思われますが、尊敬していたトスカニーニを徹底的に観察する、自分が指揮したレコードは自宅で必ず再生して出来栄えを確認する、という完璧主義がもたらした弊害だったようです。

トスカニーニについては以前の記事で、ヒトラーと敵対することが出来た唯一の音楽家でヒーロー的存在だと持ち上げましたが、こちらもオペラ歌手の間では迷惑な存在だったようです。トスカニーニは人間描写に重点を置いたヴェルディのオペラを成功させるために、歌手たちの勝手なふるまいは排除しようとしたそうです。

トスカニーニとザルツブルク&ルッツェルン音楽祭についてはこちら↓

スイスのルツェルンを音楽飛行

トスカニーニゆかりの地パルマについてはこちら↓

美食の街パルマを音楽飛行

ヴェルディのオペラは、以前の記事で何度か触れていますが、その最大の特徴がドラマ重視のオペラです。トスカニーニはそのようなヴェルディのオペラを生かすべき、歌手はドラマのの登場人物一人であり、歌を披露しようとするべきではないと考えたのです。

そんなトスカー二の哲学に触発されたのがカラヤンだったというわけで、元の話に戻りますが、カラヤンがなぜ演奏家たちの間では厄介者だったか理解できる気がします。

指揮者は演奏家や歌手の批判の矢面に立たされる存在でありつつも、必要不可欠な存在であるというのが結論で、その根拠として、筆者は、日本の大企業が繁栄する条件として、1代目から伝承される「企業文化」というものがあることを述べていました。

以上が主な内容ですが、その他諸々、オーケストラの知識がない人のために平易に三大オーケストラの特徴を説明してくれています。

最後に、三大オーケストラの一つであるオランダ・アムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団について知識が増えた点も良かったです!

印象に残ったのが、オランダにおけるユダヤ人迫害は最悪だったにもかかわらず、コンセルトヘボウ管弦楽団は積極的にマーラーを演奏していたということです。楽団はオランダ社会に貢献したユダヤ人への敬意を忘れることがなかったんですね。

グスタフ・マーラーは、オーストリア出身でオーストリアで活躍した作曲家ですが、ユダヤ系であったため、ナチス支配下においては演奏が禁じられていたそうです。ユダヤ系であったためにナチスの退廃音楽※の対象となった人としては、マーラーの友人であったアルノルト・シェーンブルクも有名です。彼はアメリカに亡命し、残りの生涯をアメリカで過ごしました。

※ヒトラーによって禁じられた音楽

ちなみに、ナチス時代トスカニーニやシェーブルクだけでなく大量のユダヤ系音楽家がアメリカ移住したものの、1代でクラシックの文化をアメリカに根付かせるには不十分だったと筆者は考えているらしいです。その根拠として、2011年のフィラデルフィア管弦楽団の破綻を挙げています。何ははともあれ、再生したみたいで良かったです!