チェコ・オペラ「The Jacobin」~予習編③~

オペラ「The Jacobin」鑑賞の予習の3回目です。
今回は、「The Jacobin」の作曲者であり、チェコを代表する作曲家ドヴォルザーク(1841-1904)の生涯と作品の評価を取り上げます。

参考文献として、主に以下の文献を参考にしました。
【中古】 ドヴォルザーク 徳間CD文庫/徳間CD文庫編集部(その他) 【中古】afb

 

3-1)ドヴォルザークの生涯

0歳  プラハ郊外の宿屋を兼ねた肉屋の家に生まれる。
★父はヴァイオリンを弾いて客をもてなした。
★近所には教会があり、オルガンや合唱が聞こえてくる環境だった。
7歳  ヴァイオリンを習い始める。
8歳  オルガニストであった小学校の先生から様々な楽器を習う。
10歳 村の楽団で演奏するようになる。
13歳 家業を継ぐため、家族の元を離れ、ドイツ語の勉強を始める。
★叔父の家に身を寄せていた。
★たまたまドイツ語の先生が音楽家であったため、音楽の勉強に勤しむ。
16歳 家業を手伝いつつ、作曲をする。
★ドイツ語教師に引き続き音楽の指導を受ける。
16歳~18歳 プラハ音楽学校在籍
21歳 プラハに仮劇場が建てられ、ここのヴィオラ奏者になる。
★仮劇場は現在は存在しない劇場で、1881年、国民劇場に吸収される。
★火災による国民劇場の再建(1881年~1883年)で、仮劇場が一時復活した。
24歳 交響曲第一番「ズロニツェの鐘」作曲
★ズロニツェ村は、13歳でドイツ語の勉強で滞在した村。
25歳  スメタナが仮劇場の指揮者に就任し、影響を受ける。
32歳  結婚する
★一度失恋を経験し、その妹と結婚する。
34歳  長女が亡くなる
35歳  「悲しみの聖母(スターバト・マーテル)」作曲する
36歳  長男、次女が亡くなる
37歳  「スラブ舞曲集」作曲
「ブラームスに会う。また、「モラヴィア二重奏曲」を絶賛される
第四子誕生する
★「スラブ舞曲」はピアノ連弾曲として作曲されたため、飛ぶように売れた。
38歳  「ヴァイオリン協奏曲イ短調」プラハで初演
39歳  プラハ郊外の村ヴィソカーで過ごす
★ヴィソカー村は53歳でアメリカから一時帰国した際に再訪する村。
40歳  プラハに国民劇場が建つ
42歳  国民劇場の再建を記念し、序曲「フス教徒」を作曲する
★フス教徒は、スメタナの「わが祖国」の5、6曲目でも描かれる。
44歳  ヴィソカーに別荘を建てる。
44歳  イギリスで演奏旅行をする
47歳  歌劇「The Jacobin」(ジャコバン)初演←本記事の主役
★プラハでチャイコフスキーに会う
49歳  ロシア・イギリスで演奏旅行をする
★イギリスでの演目は「交響曲第八番」(初演)だった。
50歳  プラハ音楽院の作曲家教授に就任
51歳  ニューヨークのナショナル音楽院院長に就任
★音楽院設立により、アメリカ的な音楽の発展を期待された。
★すでに名声を確立していたため、高給で迎え入れられた。
53歳  一時帰国し、ヴィソカー村で「8つのユーモレスク」作曲
59歳  歌劇「ルサルカ」初演。
60歳  プラハ音楽院教授に就任
63歳  プラハで亡くなる

つるが、ドヴォルザークの作品と言われて一番最初に挙げるのは、8つのユーモレスク」第7番です。一説によると、彼は俗に言う「鉄道おたく」で、列車の中で思いついたのだとか。天才にも、好きな時間が必要なのですね!

 

3-2)人柄

以下、参考とした徳間文庫の「ドヴォルザーク」で記されていた人柄が分かる内容です。

温厚な人柄で、家族や同僚をとても大切にした。
・ブラームスと初めて面会した時について、音楽家として絶賛したが、唯一、ブラームスは神を信じていないことを気にしていた。
・1875年~1877年にかけて、3人の子供が立て続けに亡くなるという悲劇に見舞われたが、失意の中に作曲した「悲しみの聖母」(スターバト・マーテル)はチェコ・フィルハーモニーの重要なレパートリーになるほどの傑作であった。
アメリカ滞在中、ホームシックを癒すため、週に二回は港で船を眺め、他の週二日は駅で鉄道を眺めていた。また、一時帰国では、チェコの郊外ヴィソカーの別荘で過ごした。

彼の人生を概観して、衝撃的だったのが3人の子供を2年間のうちに立て続けに失くしていることでした。しかし、同時期に第四子が誕生しているし、尊敬するブラームスと懇意になるチャンスを得るなど飛躍しています。つらい時期にも成長していく姿が頼もしいですね!

 

3-3)作品の評価

ドヴォルザークの音楽には、故郷への思いがベースにある、という見解がほとんどでした。

ドヴォルザークに課された任務は、チェコでそうしたように、国民音楽の醸成でした。実際に、アメリカで『交響曲第9番「新世界」』や『弦楽四重奏曲「アメリカ」』など傑作が登場するし、彼自身、積極的にアメリカの音楽に触れていたそうですが、「新世界」や「アメリカ」がアメリカの国民音楽としてふさわしいかという点に関して、つるも含めて納得していない人もいるようです。

というわけで、やっぱりドヴォルザークの原点はチェコのプラハ郊外にあったのだと感じました。
ちなみに、つるかめ家がこよなく愛す「ユーモレスク」が書かれたのもチェコのヴィソカー村という田舎です!

最後になりましたが、オペラ「The Jacobin」(ジャコバン)について触れておきます。

ジャコバンの初演は47歳、チャイコフスキーを含め世界中の音楽家たちと肩を並べるようになっていた時期だということが分かりました。

そんな国際的な大音楽家が、こんなに牧歌的なストーリーのオペラを発表するとは、少し拍子抜けですが、つるは嬉しい限りでございます(^^♪

前回と前々回の記事はこちら↓

チェコ・オペラ「The Jacobin」~予習編②~

チェコ・オペラ「The Jacobin」~予習編①~