サティ 「3つの歌曲 帽子屋(第3楽章)」

今回はエリック・サティの愛読書であったとされるルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」”Alice’s Adventures in Wonderland”(1865)に登場する「いかれ帽子屋」(”The Mad Hatter”)を題材にした帽子屋(第3楽章)を紹介します!

「いかれ帽子屋」は一見どこにでもいそうな山高帽をかぶった(ちょっとお年を召した)紳士なのですが、アリスに対して、意味が無いうえに答えのない、なぞなぞ※を出し、アリスの機嫌を損ねます。

一例に「なぜカラスは書き物机に似ているのか?」(Why is a raven like a writing desk?)がある。後に多くの人が自分なりの回答を公表している。

サティ3つの歌曲 帽子屋(第3楽章)↓↓

英Oxford Lieder社の英語訳を基に、歌詞を日本語訳しました♪
参考サイト:https://www.oxfordlieder.co.uk/song/5109

いかれ帽子屋

(いかれ)帽子屋は驚いた
彼の時計が3日も遅れていることに気がついて
いつも徹底して油をさしているにも関わらず
最高級のバターを使って
とはいえ、落としてみた
時計の機械部分にパンくずを
さらにはお茶に浸してみたが
それでも時計は速く進まなかった

原作に負けず劣らず、いかれた帽子屋さんですね(笑)

キリストの「三位一体」から、3という数字にこだわったと言われているエリック・サティ。(「3つの歌曲」の構成は第1楽章「ブロンズの彫像」第2楽章「ダフェネオ」第3楽章「帽子屋」です。)

そんな敬虔なクリスチャンとしての一面とは別に、ユーモア溢れる精神を感じさせるのがこの曲です。「3つの歌曲」の中で特にお気に入りであった「帽子屋」に限って、尊敬していたイゴール・ストラヴァンスキーに献呈したそうです。

サティは本曲以外でも「右と左に見えるものー眼鏡なしで」をはじめとするユーモア溢れる曲をいくつか作曲したことでも知られています。

サティの音楽的人生について

サティは、生涯を通じて音楽界からの総じて低かったといいます。

6歳頃から地元のオルガニストからオルガンを習い、12歳頃からサロン音楽の作曲活動を経て、1879年パリ音楽院(13歳)に入学しますが、教授たちの評価は著しく低かったそうです。

もちろん、フランスの優秀な作曲家たちの多くが獲得しているローマ大賞(グノー、ビゼー、ドビュッシーなど)の受賞もあり得ません。

しかし、クロード・ドビュッシーモーリス・ラヴェルという同世代のフランス音楽家との人間関係に恵まれました。(両者とは20代から交流を始める)

ドビュッシーは、サティの「ジムノペディ」(1890年)を編曲するなど、影響を受けた作曲家の一人としてよく挙げられます。

ラヴェルは、サティが批判の矢面に立っていたときも積極的に支持を表明していたようです。

サティ・ドビュッシー・ラヴェルの3人は、次第に印象主義音楽家として、19世紀後半当時のクラシック音楽界の中でも目立った存在になっていきました。

モネの「睡蓮」を見ると印象主義音楽をイメージできる↓

 

 

 

 

 

 

 

↑筆者つるが水面に浮かんでいるのも気づいて頂けたでしょうか。これも印象主義的なイメージを表現しているつもりです!

1899年以降(33歳)以降、サティは生活費を稼ぐために、カフェ・コンセール(19世紀後半~20世紀にかけてフランスにあった音楽やショーを楽しめる飲食店)でピアノ演奏をして稼ぐ生活を始めます。ここでの演奏用に「ジュ・テゥ・ヴ(あなたが欲しいの)」をはじめ、多くの曲を生み出しますが、本人はここで作った曲については何とも思っていなかったそうです!(笑)