ショパンは20歳頃、ワルシャワ音楽院で3年学び、ウィーンに旅立ちます。
その門出の曲と言われている「ピアノ協奏曲第一番」(1830年)を紹介します!
勉強や仕事中に聞くと、なかなか作業がはかどりますヨ!
2020年ショパン国際ピアノ・コンクール優勝者による「ピアノ協奏曲第一番」の演奏↓
多感な青年期
ショパンが20歳頃に3年間学んだワルシャワ音楽院での初恋の感情が投影されていると言われています。初恋のお相手は、ポーランドにあるワルシャワ音楽院の女学生だったということです。
ちなみにショパンにはこの後にも大きな恋愛と失恋を経験しており、この時の経験は「別れのワルツ」(ワルツ第9番)に昇華されています。
このようなメロディーは、作曲家の才能だけで生み出せるものでないので、背景となる作曲家の人生を知ることが曲を楽しむコツだと思います。
ウィーンでの挫折・サロン音楽家としての再出発
ショパンは母国ポーランドの次の活動拠点として、以前演奏に訪れ歓迎されたことがあるウィーンを選びますが、この時は失敗に終わり、短期間の間に引き上げます。
丁度この頃、ポーランドはロシアに対して反乱を起こし、失敗します。この出来事はショパンに大きな失望をもたらします。ポーランドに対する愛国心が伺えるエピソードです。
ウィーンで失敗したショパンは、結局パリに落ち着き、それなりの収入も得て、安定した生活を手に入れます。友人にも恵まれ、サロン音楽家とも呼ばれるほど、小規模なコンサートを開いて演奏する日々を過ごしました。
こうしたことを踏まえると、ウィーンでの挫折が、ショパンを「協奏曲」から遠ざけてしまったのだと思われてなりません。もっともっと協奏曲を作って欲しかったな…