ヴィヴァルディとヘンデル(1681~1730)

後期バロック(1681~1730)のオペラ作曲家としてヴィヴァルディとヘンデルがいます。

まず、アントーニオ・ヴィヴァルディを紹介したいと思います。

ヴィヴァルディはヴェネツィアを代表する。父はサン・マルコ大聖堂のヴァイオリニストで、聖職者になる教育を受けていました。25歳で司祭になり、多数の器楽曲や協奏曲を作曲しました。司祭の仕事では、パートのような働き方を選択し、作曲やヴァイオリン指導も行っていたようです。

ヴィヴァルディの曲の特徴は、女性歌手やカストラートのためのアリアの技巧性が優れていたことが挙げられます。美しい旋律のアリアに仕上げるのも得意だったようです。

もう一つヴィヴァルディの特徴を挙げるとすると、主題を異なる調で何度か繰り返す形式です。これをリトルネッロ形式というそうです。

以上ヴィヴァルディついての概要でした!

「四季」が有名すぎて、最近の方かと思っていたら、1700年初頭の方だったんですね。

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さて、次にヘンデルです!

ヘンデルは以前も紹介していますが、今回はオペラ作曲家としての側面に注目しておきたいと思います!

ヘンデル ハプシコード組曲 調子の良い鍛冶屋

前回の記事では、ヘンデルがドイツ人でありながらロンドンで活躍したことを書きましたが、実は、その直前の3年間、オペラ修行を目的にイタリアで滞在していました。

修行時代から作曲を数多くこなしており、自称、速筆家だったようです。

ロンドンには1600年代中頃に一度イタリア・オペラが入ってきたのですが、イギリスには既に宮廷仮面劇・別名マスクが定着しており、オペラが受け入れられにくい状況だったのです。
ヘンデルがロンドンでオペラを多数書いたことで、今までオペラに対して消極的だったロンドンのオペラの受容性が高まります。

司教という位に甘んじることなく、才能を生かして、様々なことに取り組んだヘンデル、尊敬してしまいました!!