男女がペアとなって踊るダンスのことを広く「社交ダンス」と呼びますが、今日は、クラシック音楽を中心に、社交ダンスにまつわる様々なお話をしていきます。
日本における社交ダンス
つるは以前、「ワルツ」に憧れ、「社交ダンス」(英:ballroom dance)をお教室で習ったことがあります。
現代の日本において、社交ダンスは競技スポーツとしての位置づけが主流で、社交ダンス教室の先生方は選手権大会での実績を持っている方が運営している場合がほとんどです。
現代の多くの世代の人々にとって「社交」ダンスは「競技」ダンスであり、このような呼び方をすることもあります。
ちなみに、社交ダンスが日本に伝えられた明治時代には、鹿鳴館で踊られるなど、文字通り「社交」のためのダンスとして、ワルツやタンゴなどが伝えられたそうです
一般大衆に広まったのは第二次世界大戦戦後の話で、娯楽的要素の強いもので、バーやディスコといった飲食の出来る娯楽施設で踊られていました。
「娯楽」としての社交ダンス
実は、現代「社交ダンス」と呼ばれているダンスは、元々「娯楽」として誕生したものでした。
13世紀頃、オーストリアやドイツの山岳部の農民が娯楽として楽しむダンスとして「ワルツ」が誕生し、次第に都市部にも広まり、19世紀後半にはウィーンにあるハプスブルク帝国の宮廷文化として定着しました。また、広まる過程でワルツの動きは優雅な動きに変化していったそうです。サウンド・オブ・ミュージックでお馴染みのダンス「レントラー」もワルツと異なるダンスであるものの、起源を辿ると近縁のダンスです。ワルツよりもゆっくりと踊るそうです。
レントラーの楽曲クライスラー「愛の悲しみ」↓
チェコの民族舞踊「ポルカ」もワルツと並び、19世紀を通して大変人気なダンスでした。チェコの北西部ボヘミア地方の山岳部が起源だとされています。ヨハン・シュトラウス父子のポルカは大変有名ですが、意外にもチェコ国民楽派であるスメタナも多くのポルカを残しました。
ワルツやポルカと一緒に宮廷文化として取り入れられたダンスに「ギャロップ」というダンスもありますが、こちらは大人数で大きな輪を作り、スピードをつけてぐるぐる回るダンスで、その危険性から中止されたということです。
そのほか、ポーランド民族音楽である「マズルカ」も宮廷に取り入れられました。ポーランド出身であるショパンが多くの作品を残しています。
一方、フランスでは、16世紀末よりフランス宮廷の娯楽として「バレエ」が流行していました。(バレエは、男女がペアで踊るダンスではありませんから、社交ダンスではありませんが、宮廷文化の話が出たので、せっかくなので記しておこうと思います。)
1669年に、ルイ14世が「パリ国立オペラ」(現役)を設立したことがきっかけで、プロのバレエダンサーが現れ、バレエは娯楽としてのダンスの域を脱したと言えます。
イギリスをはじめ一部の国や地域では、社交ダンスで男女が密着するスタイルがあることが受け入れられないとする見方もありました。
日本にあるディスコやクラブのような感じで、ヨーロッパの宮廷では、娯楽イベントとして、さまざまなダンスがで行われていたのですね。
芸術としての社交「ダンス」
1819年、カール・フォン・ウェーバーがピアノ曲「舞踏への勧誘」を作曲し、「ワルツ」が初めてクラシック音楽の一ジャンルとして取り入れられました。
1824年に宮廷舞踏会の指揮者に任命されたヨーゼフ・ランナーと、そのライバル、ヨハン・シュトラウス一世、そして息子のヨハン・シュトラウス二世が、ワルツを次々に作曲し、「ウィンナー・ワルツ」の時代と称されます。
現在のヨーロッパでは「ワルツ」と言えば、ウィンナ・ワルツ時代のクラシック音楽のワルツを指すことが多いそうです。
つまり、ヨーロッパではワルツは芸術>娯楽という理解が一般的なのです。
さすが、ヨーロッパ!意識高い!
「教養」「社交辞令」としての社交ダンス
1589年フランス司教によって「オルケゾグラフィ」という書物が書かれます。この本は、様々な社交ダンスのステップをまとめたヨーロッパ史上初の社交ダンスの教本として知られています。
このことから、16世紀ヨーロッパでは、社交の場、で男女がペアで踊ることが目的としたダンスが定着し、名家の子女が習得するべき教養の一つとして考えられていたことが分かります。
この書物の中で記されているダンスの中に、16世紀のスペインの厳粛な行列舞踊「パヴァーヌ」があります。モーリス・ラヴェルは、この踊りを題材として、郷愁の念に満ちたピアノ曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」を作曲しています。
アメリカ発・新潮流としての社交ダンス
20世紀に入り、アメリカのクラシック音楽とも呼ばれている「ジャズ」の登場により、ヨーロッパの音楽は多様性が生まれます。
キューバがアメリカに与えた影響も計り知れません。
例えば、キューバー革命によりアメリカに「マンボ」に「チャチャチャ」がもたらされましたし、「ルンバ」は、キューバにおける黒人奴隷たちの音楽に由来しするダンスです。
さらに、1960年代以降のものとして、ニューヨークのプエトリコ移民が始めたのが、「サルサ」があります。
こうした、多種多様なジャンルのダンスは、戦後の駐留アメリカ兵などによって日本にも広められました。
社交ダンスを習ってみた話
つる自身は、結局、社交ダンスからは手を引き、ピアノを弾くことにしました。理由は主に二つあります。
⓵発表会がある場合、高いヒールを履く機会が多くなり、足に負担がかかる
⓶慣れるまでは、健康増進の効果が低い。(脳トレにはなる)
しかし、クラシック音楽を学ぶと、ダンスとのは関係が大変深いことが分かります。
特に大人が本格的に習う場合①は注意すべき点です。好きなことをすることも大切ですが、安全なスポーツを選ぶにこしたことはありません。
とはいえ、音楽とダンスは相互に影響し合っているものだと思います。
これからも音楽を通して民族舞踊をはじめ、さまざまなダンスの世界を楽しみたいです♡
絶賛おすすめピアノ曲「イタリアン・ポルカ」について↓