オペラ学習会4日目です
今日は以下の章を読みました。
6.古典期のイタリア・オペラ(1771~1880)
前回の記事も良かったら↓
前回の記事でナポリについて、教養のない君主を欠いたことによるオペラ文化の衰退について書きましたが、ここでいうオペラ文化はオペラ・セリアのことで、オペラ・ブッファは健在でした。
※オペラ・ブッファはオペラ・セリアと対になる言葉で、オペラ・セリアが高貴な登場人物とシリアスな内容が特徴であるとすると、オペラ・ブッファはその逆で、滑稽な登場人物と一般市民の日常的な事柄が扱われました。
ナポリにおけるオペラ・ブッファでは、国外から有名な歌手が呼ばれるというよりも、地元ナポリ出身の二流三流歌手が起用されました。
また、ナポリ方言が多く使用され、地域密着型の喜劇だったようです。
このため、ナポリはもはや国際的に傑作と呼ばれるオペラが上演されることはなくなったようです。
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一方、オーストリアのウィーン、ドイツのシュトゥットガルトやデンマークのコペンハーゲン、ロシアのサンクト・ペテルブルクが新たなオペラ発信の拠点として浮上してきました。
モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」や「フィガロの結婚」なども上演されました。
また、この時代、カストラート以外にも、テノール歌手の存在価値が高まりました。
※カストラートとは、変声期直前に声帯を去勢した男性歌手のことです。宗教的に女性が歌うことを禁じたローマで登場したようです。
しかし、古典期後期のドイツではカストラートの地位が少しづつ低下していきました。
詳しくは次の回で書きます!