若き天才ロッシーニ(1792~1868)

本日はスペインのセビリアを舞台にした喜劇「セビリアの理髪師」の生みの親として知られるロッシーニを紹介します!

「イタリア・オペラ史」の7章に突入してます!
7章のタイトルは、
ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティの時代

ジョアキーノ・ロッシーニ(1792~1868)は14歳の時、ボローニャの音楽学校に入学し、18歳の時、最初のファルサ※を発表します。(上演はヴェネツィア)

ファルサは非現実的な人物や設定がよく用いられる一幕限りのオペラで、フランス革命でイタリアに持ち込まれ、ベネツィアで一時流行したオペラ形式です。

その後、2年半のうちに、5作のファルサを手掛けます。

その5作のうち1作が「絹のはしご」というオペラで、その序曲が有名で、つるかめが借りてきたクラシックのCDに収録されていました。

「絹のはしご」は5人の登場人物が恋をテーマに勝手な憶測を繰り返し、いざこざを起こすが、最後はハッピーエンドとなる楽観的で愉快な物語。オペラを鑑賞したことはありませんが、筋書きを読む限り、わくわくしました。

1813年にはオペラ・セーリア「タンク・レーディ」とオペラ・ブッファ「アルジェのイタリア人」を発表し、イタリア中で名声を得ました。

彼のオペラに特徴的なのが、男装した女性歌手「コントラルト」です。フランス革命で衰退した「カストラート」に代わって、コントラルトをソプラノ歌手との重唱で登場させました。

※重唱とは、フランス語でアンサンブルと言い、1人1パートを受け持ち複数の人数で歌うことで、合唱との違いは、重唱が1人1パートなのに対して、合唱が1人複数パート持つ。

その後、ナポレオンの敗北が決定的になった年に、ナポリに移ったロッシーニは、オペラ・セーリアを連作し、ナポリのサン・カルロ劇場※で発表します。

※サン・カルロ劇場はナポリにあるヨーロッパで現役最古の劇場。ロッシーニの他、ドニゼッティやヴェルディとも関連深い。

イタリア中で人気を博したロッシーニですが、批判も多くあったのが実情です。
第一に、歌唱を重視※しすぎ、ドラマを過少評価していたという点です。曲のテンポや曲調を調整し、繰り返す手法などがその一例です。
第二に、曲の転用です。例えば「セビーリヤの理髪師」と「イギリス女王エリザベッタ」の序曲は「パルミーラのアウレリアノ」の序曲を転用したものです。

※ベルカント・オペラ(高度な装飾を含む歌唱法)とロッシーニの結びつきは強い

こうしたロッシーニ批判がドラマ重視のオペラの幕開けのきっかけになったそうです。いよいよヴェルディの時代に突入します。

最後に、ロッシーニと同時期に有名だったオペラ作家について軽く触れておこうと思います。

・ベッリーニ
ロッシーニのオペラの影響を受け、ロッシーニに続く存在として活躍。スカラ座で初演した「異国の女」をはじめ、数多くのオペラ・セリアを手掛けた。一方、喜劇(オペラ・ブッファ)は書かなかった。
また、抒情的旋律と技巧的な歌唱で、ロマン主義芸術家の人気を獲得する。「夢遊病の娘」が特に人気。

・ドニゼッティ
ベッリーニと同世代。セーリアとブッファの両ジャンルで名作を生む。特に悲劇作曲家としての評価が高く「ラマムーアのルチーア」が特に有名。