つるかめの愛するチャイコフスキーのバレエ用作品です
同じロシア出身のラフマニノフも熱烈に尊敬した作曲家です
ラフマニノフはチャイコフスキーの曲をよく指揮していたし、
チャイコフスキーに献呈した曲を数曲残しました
さて、トレパーク(ロシアの踊り)の話に戻りますが、
お菓子の国の妖精たちが躍る主人公クララを歓迎するパーティの中で、
<大麦糖の妖精>が躍っている場面になります
おとぎの世界って平和な気持ちになれていいですよね
でもロシアって政治的には不安定な印象がありますよね
2016年に岸田外務大臣(当時)の発言が全てを表現してくれています
岸田さんは、経済的枠組みではG20、政治的枠組みではG7を重要視する、といった内容のことをおっしゃったそうですが、
ロシアはG20の1国でありながら、このG7からは除外されているのです
今、なぜ今、ロシアは政治的に不安定になってしまったのでしょうか
渡り鳥であるツルが春夏秋を過ごす国でありますので、
たまには真剣に考えてみようかと思います
クリミア危機と言われているのですが、
ウクライナのクリミア自治共和国には、ロシア語を母語とする人が多く暮らしているそうなんですが、2014年以降、ロシア編入を求めてウクライナ政府と争うようになったんです
ロシアとウクライナの複雑な関係を少しだけ遡って追ってみます!
1783年、ウクライナは
ロマノフ家による専制政治が敷かれたロシア帝国(1721年~1917年)、
によって併合されます
ちなみにロマノフ朝時代のロシアで活躍したのがチャイコフスキーとラフマニノフ(ラフマニノフはロマノフ朝崩壊でアメリカに亡命)です。
ロシア帝国が、ウクライナのロシア化政策を断行する中、
ロシア帝国誕生直後から19世紀世紀前半にかけてウクライナの文化を守ろうとするウクライナ民族主義が生まれます
※ウクライナ人の起源を追うとスラブ民族との関わりも深く、
別名で東スラブ人と呼ぶようです
その後1917年に革命が起きて、ロシア帝国は崩壊しますが、
ここでウクライナ民族主義を支持者は、ウクライナ地域の自治権を得ようという運動が始めます
この独立運動は、緩い運動で、あくまでもロシアの支配下にありながらも、自治権を求めるものでした
ウクライナ民族主義の人々の努力は実り、「ウクライナ人民共和国」が誕生しますが、直後に内線に敗れ、社会主義国家「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」として再出発し、1991年のソビエト連邦崩壊まで社会主義国家としての歴史を刻みます
初期の「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」では実際の権力者はロシア人であったものの、ウクライナ人に対して懐柔政策がとられた時期もありましたが、1927年以降、ヨシフ・スターリンの権力掌握とともに、この政策も一掃され、同国ではロシア化政策が進められます
1980年代後半からはペレストロイカと呼ばれるロシアの民主化運動が起こり、ゴルバチョフ総書記を中心とする長く権力を掌握した社会主義政権に対峙したロシア改革派により1991年社会主義国家ロシアが滅亡します。ウクライナはこの時に独立を果たします!
ここで冒頭のクリミア危機に戻ります!
2014年以降は、ウクライナ内ではロシア主導の新ロシア派と独立派が対立を始め、今も紛争が続いているのです
ということは1991年~2014年は比較的安定だったのかな?!
ラフマニノフも生きていたら帰ってきたかもしれません。