スイスのルツェルンを音楽飛行

今日は、ルツェルンを音楽飛行と題して音楽と関係の深い場所や作曲家について紹介したいと思います。

まずはお決まりのスイスの国データです!

<国の基本データ>
※データは外務省HP「スイス連邦 基礎データ」よりhttps://www.mofa.go.jp/mofaj/area/switzerland/data.html#section1より抜粋

人口:842万人(2017年,スイス連邦統計庁)
面積:4.1万平方キロメートル(九州と同じくらい)
言語:独語(63%),仏語(23%),伊語(8%),ロマンシュ語(0.5%)(2016年,スイス連邦統計庁)
国境:北にドイツ、南にイタリア、東にリヒテンシュタインとオーストリア、西にフランス
主要都市:チューリッヒ(金融都市・国際ハブ空港)、ジュネーブ(元国際連盟本部・国際連合各支部)、ベルン(首都)、バーゼル(ライン川港町)

<参考地図>つる作成

この記事の目玉であり、クラシック好きの一大イベント「ルツェルン音楽祭」を紹介します!

スイスの玄関口・チューリッヒから南西50km程に位置する都市ルツェルンで開催されているこの音楽祭は、第一次世界大戦時にザルツブルク音楽祭に代わりとして誕生した歴史を持ちます。

※ザルツブルク音楽祭は1856年にザルツブルクで行われたモーツァルト生誕を記念して行われた音楽祭の流れを汲んで、1920年に第一回のコンサートが行われます。1922年からはオペラが上演されます。アルトゥーロ・トスカニーニを含む有名な指揮者たちが指揮を振るようになります。

ここで、「ルツェルン音楽祭」誕生前夜の話をしたいと思います。

1938年3月ナチスによりオーストリアが併合されます。ナチスによるオーストリア占領と、同国におけるユダヤ人に対する締め付けが決定的になったことを受け、ユダヤ系の音楽家や反ナチスの音楽家が他国へ去ってしまいました。

これ以降も毎年、オーストリア首都ウィーンの「ザルツブルク音楽祭」は開催され続けたものの、ナチスの干渉が強くなりすぎていました。

この状況に立ち向かったのが、イタリア人指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867~1957)ドイツ人ヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュ※です。

トスカニーニは、スカラ座の音楽監督を歴任していた他、ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者(1928年~1936年)、NBC交響楽団の指揮者(1937年~1954年)を務めてるなど世界的に有名な指揮者でした。

彼は、ナチスに断固として屈服しなかったそうです。1928年には、ナチスの影響が強まったことを受け、スカラ座の音楽監督を辞任、バイロイト音楽祭(1933)とザルツブルク音楽祭((1938)の出演も拒否します。

2人の音楽家がルツェルン市長にザルツブルク音楽祭に代わる音楽祭として「ルツェルン音楽祭」を提案したところ、認められ、第一回の音楽祭が、ルツェルン湖畔のワーグナーの邸宅で開催されます。

※アドルフ・ブッシュの共演者であったピアニストのルドルフ・ゼルキンはユダヤ系。後にスイスを経てアメリカに亡命。

ところで、トスカニーニのオペラに対する考え方の一つに、徹底した観客に対するオペラ教育があったそうです。

まず、観衆が舞台に注目するために、会場を暗くする慣例を作ったのは彼だそうです。それまでは明るい会場だったんですね!

そして、劇の流れがさえぎられてしまうとして、アンコールを嫌っていました。1903年~1904年に上演されたヴェルディの「仮面舞踏会」でアンコールがかかった際、トスカニーニは退席してしまったそうです。

トスカニーニが青年期まで過ごしたイタリア北部の都市パルマについてはこちら↓

美食の街パルマを音楽飛行

最後にルツェルンの観光情報をまとめます★

【ルツェルン音楽祭の基本情報】
公式HP:https://www.lucernefestival.ch/en/
時期:⓵8月中旬~9月中旬頃 ⓶復活祭の時期 ⓷11月中旬~11月末頃(ピアノに特化した音楽祭)
※残念ながら、⓶は今年からなくなってしまうそうです!
場所:ルツェルン・カルチャー・コングレスセンター(通称:KKL)

リヒャルト・ワーグナーの詳細は、他の記事に譲りたいと思いますが、
ルツェルンは、ワーグナーがドイツのバイロイトで劇場建設に着手する直前の6年間を妻と二子と過ごした場所です。バイロイト劇場建設の夢を膨らませながら、家族との満ち足りた生活していたことを想像しながら見学したいですね♪

【リヒャルト・ワーグナー記念館の基本情報】
時期:4月~11月
場所:Tribschen(トリプシェン)
料金:スイストラベルパスを見せると無料

【おまけ】

最後につる的重要事項として、ルツェルンは、セルゲイ・ラフマニノフがパガニーニの主題による狂詩曲第18変奏作曲した都市です!!!

ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲第18変奏」

この時、彼は既に活動拠点をアメリカに移していましたが、ルツェルンに別荘があったため、一時的に滞在していたのです。

いよいよスイスがこんなに音楽的な要素を持つ国だったことは意表を突かれたような思いです!


彼の銅像が、スイス交通博物館という観光名所の近くにあるそうです。

興奮が冷めないうちに記事を終わりにしたいと思います☆彡

参考:キャロル・プランタムラ著「徹底ガイド ヨーロッパ オペラの旅」