インドネシアの民族音楽と現代

ドビュッシーが41歳の時の作品である「塔」組曲「版画」(全三曲)のうちの一曲目
二曲目はフランスを題材とした「雨の庭」三曲目はスペインを題材とした「グラナダの夕べ」です。

組曲「版画」第一曲「塔」↓

ドビュッシーは1889年(27歳)のパリ万博でガムラン音楽に触れており、この時の体験が作曲に影響を与えたのではないかと言われています。若き頃の体験が、後半生のドビュッシーの創造の種となったのですね。

ドビュッシーは目で見たもの、感じたものを感情に訴えかけずにそのまま音にしようとしてきた音楽家として知られているだけに、こうした体験は殊更に貴重なものだっとと言えます。

さて、つる(筆者)は、かつて何度か、東南アジア方面で冬を越した経験があるので、ガムラン音楽とそのルーツが気になり、調査することにしました!

ガムラン音楽はインドネシアのジャワ島中部を起源とし、現在はジャワ島全土・タイなどで見られる民族音楽です。

楽器は打楽器が用いられ、インドネシアの伝統的な歌が歌われることが多いようです。

今日は、これを機会に現在のインドネシア社会を学びます!

まず手始めに、ガムラン音楽生誕の地で、首都ジャカルタがあるジャワ島です。

<ジャワ島の地図>

インドネシアのジャワ島は、5つの行政区に分かれています。

西から順番に「バンテン州」、インドネシアの首都ジャカルタがある「ジャカルタ首都特別州」「西ジャワ」「中部ジャワ」「ジョグジャカルタ特別州」「東ジャワ」です

インドネシアは、数えきれないほど多くの島々から成り立つ国ですが、首都ジャカルタにおける人口の一極集中による過密とそれに伴う自然災害が問題視されてきました。

その代表例が、地盤沈下です。国民の大半が地下水に頼って生活しているため、地下水が大量に組み上げられ、陸地が沈んでしまうのだそうです。

実際、この問題は非常に深刻なレベルで、2050年にはジャワ島の数割が沈んでしまうと言われています。

こうした状況から、インドネシア大統領は今年(2019年)5年後の2024年の首都移転計画を発表しました。

なお、予定している移転先は、ジャワ島から北に4百キロ程にあるカリマンタン島。その中でも未開発の地域だそうです。

<カリマンタン島の地図>※地図の南側にはジャワ島

地図を見ると分かりますが、島の北部はマレーシア領およびブルネイ領となっています。

カリマンタン島はボルネア島という名前でも知られています。

カリマンタンはインドネシア語での呼び方で、ボルネアはオランダ語と英語での呼び方で、ボルネオの由来は16世紀に島を支配していたブルネイ・ダルサラームのブルネイに由来し、さらに言うとブルネイはマレー語のBuni=亜麻に由来するようです。

首都移転の発表(2019年夏)について、反対派意見の一つにカリマンタン島の希少動植物への影響が挙げられています。

カリマンタン島は自然の宝庫で、動物ではオラウータンの生息地として有名なんだそうです。

インドネシアが今後取り組むであろう、「自然保護」と「首都の移転」。2つに対する取り組みに注目していきたいです!

<参考文献>
日本アセアンセンターHP https://aseanpedia.asean.or.jp/country_profile/brunei/