原作『Moscow Nights The Van Cliburn Story -How one Man and His Piano Transformed the Cold War』 Nigel Cliff・著
日本語版「ホワイトハウスのピアニスト」松村哲哉・訳
冷戦の真っ最中、音楽の力で、ソ連中の人を夢中にさせたアメリカ人ピアニスト、ヴァン・クライバーンの伝記です。
本書では、(この本を手に取る読者と同じく?!)ラフマニノフとチャイコフスキー好きの一人として成長した、青年ヴァン・クライバーンの活躍を冷戦の進行と並行して語られます。冷戦に関する内容も加えられているので、500ページ弱の分厚い本ですが、万人に読みやすい伝記となっています!
あらすじと感想
本書の主人公であるヴァン・クライバーンは、アメリカ南部育ちの田舎者ですが、ピアノ教師である母からピアノを習い、ジュリアード音楽院入学と、音楽の道を着々と歩み始めます。
ジュリアード在学中1954年19歳の時、アメリカ南部フォートワースで開かれるレーヴェントリット国際コンクール※1で優勝します。この時。審査員の一人には、著名なピアニストであるルドルフ・ゼルキン氏※2がおり、ヴァンの演奏を褒めたたえたそうです。
そして、1958年、ヴァンが23歳の時、憧れのラフマニノフとチャイコフスキーの祖国であるロシアの地を初めて踏むチャンスを得たうえ、同年にモスクワで開催される第一回チャイコフスキー国際コンクールで優勝します。このコンクールは、冷戦下のソ連が、自国の文化的優位性を示す目的で開催されたのですが、ソ連の人々の心を奪ったのがアメリカ人だったということは不思議なものです。
チャイコフスキー国際コンクールは、今でも世界三大クラシック音楽コンクールと冠される程で、4年に1度行われています。
ちなみに、ヴァン・クライバーンの優勝により、アメリカ国内において、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番の知名度が大きく上がったといわれています。
コンクール優勝後のヴァンへのもてなしは最高級で、ソ連の指導者フルフシチョフ※に激励を受け、ラフマニノフの娘からラフマニノフが大切にしていたニコライ皇帝の金貨が送られます。ヴァンのピアノは、冷戦中であったにも関わらず、ロシア国民を熱狂させました。
ところで、ヴァンをロシアで温かくもてなしたニキータ・フルシチョフはどんな人物だったのでしょうか。フルシチョフはスターリン政権下のソ連で高い地位に上り詰めた後、スターリンの死後(1953)、スターリン時代の独裁体制を批判し、国内の民主化政策や軍縮に取り組みます。
また、芸術はプロパガンダだとするスターリンとは異なり、芸術家は自由に自己表現するべきものだと考えていたが、専門家の意見に振り回される傾向があり、断固とした意思表明はしなかったとされています。こうした曖昧な姿勢が、1991年ソ連崩壊まで続く芸術への取り締まりを招いたのです。
↓↓スターリン政権の芸術に対する取り締まり(ジダーノフ批判)については、
映画「オーケストラ!」で描かれています↓↓
※1ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールとして現在も開催されている。詳しくは次章に書きました。
※2ルドルフ・ゼルキンはチェコ北部(ボヘミア)出身のピアニスト。両親がユダヤ系であったため、ナチスを逃れて1939年にアメリカに移住する。
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール
最後になりましたが、ヴァン・クライバーン名を冠したヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールがアメリカ合衆国の南部の都市フォートワースで4年に一回開催されています。コンクールの時は、無名のピアニストを発掘するというのが主な目的です。2009年に、辻井伸行さん(当時21歳)が日本人初となる優勝を果たしたコンクールでもあります。辻井さん自身にとっても初の国際コンクール優勝という快挙を成し遂げました。
辻井さん音楽の都ウィーンでのデビュー(2015年ウィーン楽友協会の黄金の間にて)
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