オスマン帝国に反旗を翻す勇敢なスラブ民族の兵士を讃えた曲です。当時オスマン帝国とロシアは争いを繰り返していたそうで、チャイコフスキーは愛国心を掻き立てられて作曲したそうです‥
チャイコフスキーらしいメランコリック(憂鬱)な一曲ですが、憂鬱な気持ちにさせないのがチャイコフスキーの凄いところだと素人的な感覚で感じます!!
ショパン「夜想曲・Op.9-1」やドビュッシー「ノクターン」も然りですが、変ロ短調と相性が良いようです(>_<)
スラブ行進曲↓
チャイコフスキー36歳(1876年)の作品とされています。これは、ピアノ協奏曲第一番※を成功させた1875年の翌年にあたり、初期の作品となります。
また、1876年という年は、ロシアの鉄道王の未亡人フォン・メック夫人から多額の資金援助を14年間にわたって受け続けることになった時です。本曲が、夫人の目に留まったかもしれませんね。夫人の資金援助により、チャイコフスキーは資金に困ることなく生涯にわたって作曲に専念できただけではなく、ヨーロッパ各地を旅し創作熱を高めることができたということです。
※モスクワ音楽院のニコライ・ルビンシテインに酷評されたが、ドイツ人指揮者ハンス・フォン・ビューローが米国ボストンでの初演を引き受け、成功を収めた。ちなみに本曲がアメリカで広く知られるようになったのは、ヴァン・クライバーンが第一回チャイコフスキー国際コンクールで優勝(1958年)した時だそうです。アメリカとロシアの冷戦からデタントへ一歩踏み出したきっかけとなった曲と言えるかもしれません。